2016年リオデジャネイロオリンピックのバドミントン女子ダブルスで金メダルを獲得した、バドミントン日本代表タカマツペアの高橋礼華選手(日本ユニシス)が、今月限りでの現役引退を発表しました。
松友美佐紀選手は現役を続行し、今後は混合ダブルスを軸に活動するということです。
8月19日、高橋選手はオンラインで記者会見を行いましたが、この8月19日は4年前のリオデジャネイロオリンピックで決勝を戦った日です。
バドミントンの全種目を通じて日本勢初の金メダルを獲得した記念日に、「タカマツ」としてピリオドを打ちました。
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8月19日 金メダルの記念日にオンライン記者会見
ー高橋礼華選手の言葉ー

私、高橋礼華は、2020年8月31日をもって競技生活を終えることを決意しました。
また、それに伴い、パートナーである松友選手とのペアを解消させていただくこととなりました。
今まで応援してくださったファンの皆さん、所属先である日本ユニシスや日本バドミントン協会、スポンサーの皆さんのおかげで私はここまで現役生活を続けられたと思い、とても感謝しています。
私は2016年リオオリンピックで金メダルを獲ったあとに、この次どうしていこうかというモチベーションにすごく悩みましたが、気持ちを新たに2020年東京オリンピックに向けて2人で頑張ってきたんですが、2019年のレースが始まってからはなかなか思うような結果も出すことができなかったですし、最後の全英オープンの途中にレースの中断だったり、帰国後のオリンピックの延期となったときに、やっぱりあと1年、自分の気持ちと体が持つのかなっていう気持ちもあって、自分の素直な気持ちをパートナーの松友選手やユニシスのスタッフの皆さんに伝えたところ、私の意志を尊重してくれるという形になり、今回の決断になりました。
本当に私一人ではここまでくることは絶対にできなかったと思うので、私に関わってくれた全ての方々には感謝しています。
松友選手と組んでいたからダブルスが楽しいなと思えたし、いろいろな経験ができたと思っているので、本当に今まで組んでくれてありがとうという感謝の気持ちでいっぱいです。
やめることに悔いはないですし、すごく幸せな現役生活だったと思います。
今こういう状況なので、これから先どうなるかもわからないですし、現役の皆さんは試合もなかなか開催されない苦しい日々があると思いますが、これからもバドミントン界がもっともっと盛り上がるように、私なりに頑張っていきたいと思います。
ー松友美佐紀選手の言葉ー

今まで私たち2人のペアを応援して下さったすべての皆様、本当に今までありがとうございました。
心から感謝を申し上げます。
そして高橋先輩、今まで長い間本当にお疲れ様でした。
たくさん一緒に笑ったり泣いたりした時間がもうなくなると思うととてもさみしいですけど、先輩とでなければここまでやってくることはできなかったですし、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
高橋選手は今後については…

私はカフェだったり食のことに興味があるので、バドミントンをより楽しく観戦してもらうために、お客さんのために飲食系を提供できる場所を作りたいと今一番思っていて、また、ジュニア世代の子どもたちにメダリストだから伝えられることを伝えていきたいという気持ちです。
東京オリンピックの出場権獲得の可能性はまだ残されていた
新型コロナウイルス感染拡大の影響で東京オリンピックが1年延期となり、バドミントンの大会も延期・中止となった大会も多くなったため、2019年4月末から2020年4月末までとされていたポイント争いの期間に2021年1月~5月の17週間(新型コロナウイルスの影響で延期・中止となった大会が対象)が追加されました。
五輪レース打ち切りの可能性もありましたが、この決定で最大2枠の出場権を3組で争う女子ダブルス勢の戦いは延長戦に突入していました。
2020年3月までに獲得したポイントは維持され、新型コロナウイルスのために延期・中止となった大会のポイントも加えた2021年5月4日付のレースランキングで、東京オリンピック出場選手が出揃うことになりました。
凍結中の五輪レースでは、1位の福島・広田組(アメリカンベイプ岐阜)は出場権をほぼ手中に収めており、2枠目を永原・松本組(北都銀行)と高橋・松友組(日本ユニシス)が争う構図になっていて、追加期間(2021年1月4日~5月2日)には高ポイントが狙える「SUPER 500」の大会が4大会あるため、高橋・松友組が永原・松本組を自力で上回る可能性が残されていました。
バドミントン女子ダブルスで世界ランキング2位の福島由紀、広田彩花組(丸杉Bluvic)と同3位の永原和可那、松本麻佑組(北都銀行)の東京五輪の出場権獲得が、19日までに確実となった。同五輪の各国・地域の出場枠は各種目2まで。女子ダブルスでは高橋礼華、松友美佐紀組(日本ユニシス)が日本勢3番手の世界7位で、逆転で代表入りする可能性を残していたが、高橋礼が現役引退を表明した。
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タカマツペア 主な日本人初記録
バドミントンの歴史を変えてきたタカマツペアは、数々の「日本人初」の記録を打ち立ててきました。
その一例を挙げますと…

女子ダブルスの高橋松友ペア -高橋編-
高橋礼華は奈良県に生まれ、母がコーチを務める「橿原ジュニア」で競技を始めました。
小学4年生のときに、第1回全国小学生ABC大会に出場し、3・4年生のグループで優勝、第3回ABC大会では5・6年生のグループで優勝しました。
第10回全国小学生選手権大会の女子シングルス5年生以下、第11回全国小学生大会の女子シングルス6年生以下で連続優勝、6年生のときには、第18回若葉カップ(団体)でも優勝するなど、タイトルを独占しました。
小学校を卒業すると、中高一貫でバドミントンの強豪・宮城県の聖ウルスラ学院英智に進学、高校2年生のときに1年後輩の松友美佐紀とペアを組むことになりました。
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女子ダブルスの高橋松友ペア -松友編-
松友美佐紀は徳島県に生まれ、姉の影響で5歳から地元クラブ「藍住エンジェル」で競技を始めました。
小学4年生のときに、第2回ABC大会の3・4年生のグループで優勝、さらに第17回若葉カップ(団体)、第10回全国小学生大会の女子シングルス4年生以下で優勝と3冠を達成します。
その後も第11回全国小学生大会の女子シングルス5年生以下、第12回全国小学生大会の女子シングルス6年生以下で連続優勝、第4回ABC大会で優勝と、輝かしい成績を残しています。
中学校は地元の徳島中学に進学し、2年生のときに第35回全国中学校大会でシングルス3位になります。3年生のとき、地元開催の全国中学校大会でシングルスと団体の2冠に輝きます。
高校は聖ウルスラ学院英智に進学し、1年生のときに高橋礼華とダブルスを組むことになったのです。
高橋松友ペアの歴史
高校時代の高橋松友ペアは、2008年3月の全国高校選抜大会、8月の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)、10月の国民体育大会で優勝しています。
2008年11月の全日本総合バドミントン選手権大会では、5連覇を達成した小椋久美子・潮田玲子組(オグシオ)に敗れたものの、ベスト4と大健闘しました。
私が持っている『オグシオファイナル~5連覇への道~』のDVDの中にオグシオと高校時代のタカマツペアとの対戦の動画が収録されています。私はその頃からずっと高橋松友ペアを応援していて、試合も全部録画してあります。
高橋は高校卒業後、日本ユニシス実業団バドミントン部に入部、後を追う松友も1年遅れて日本ユニシスに入部します。
2010年、日本ユニシス所属のタカマツペアは、大阪インターナショナルチャレンジ準優勝、全日本社会人大会優勝、全日本総合選手権大会3位と好成績を残します。
全日本社会人大会は2012年、2013年と連続優勝、全日本総合選手権は2011年から3連覇を達成していましたが、2012年のロンドン五輪には間に合いませんでした。
2011年からずっと全日本総合選手権で優勝して日本の1位になっているのに、2012年のロンドンオリンピック代表になれないことに、何年も応援している私は本当に納得できない思いでいました。
ロンドンオリンピック銀メダルの藤井瑞希さんは「彼女たちは代表で最年少だったので出られる大会も限られて、ロンドンには出場できませんでした」と言っていましたが、4年に1度しかないオリンピックに、その時に一番強いペアを出せないというのは本当にもったいないと思っていました。本人たちも「悔しくてロンドン五輪を直視できなかった」と言っています。
2014年10月30日付女子ダブルスのBWF世界ランキングで日本勢初の世界ランク1位となり、BWFスーパーシリーズファイナルズでは、女子ダブルスで全種目通じて日本勢初の優勝を達成しました。
2016年、全英オープン女子ダブルスで日本勢で38年ぶりに優勝し、同年のリオデジャネイロオリンピックで日本のバドミントン史上初となるオリンピックでの金メダルを獲得したのです。
高橋礼華選手・松友美佐紀選手のプロフィール
- 生年月日:1990年(平成2)4月19日
- 血液型:A身長:165cm
利き腕:右
出身地:奈良県橿原市
出身校:聖ウルスラ学院英智中学校 → 聖ウルスラ学院英智高校
所属:日本ユニシス
趣味:漫画を読むこと
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- 生年月日:1992年(平4)2月8日
- 血液型:O
- 身長:159.5cm
- 利き腕:右
- 出身地:徳島県板野郡藍住町
- 出身校:徳島中学校 → 聖ウルスラ学院英智高校
- 所属:日本ユニシス
趣味:iPadでの動画視聴、漫画を読むこと
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高橋礼華・松友美佐紀ペアの主な戦績

【主な戦績】
国内試合
’19 全日本総合選手権大会 ダブルス 第3位
’18 全日本総合選手権大会 ダブルス 準優勝
’17 全日本総合選手権大会 ダブルス 準優勝
’16 全日本総合選手権大会 ダブルス 優勝
’15 全日本総合選手権大会 ダブルス 優勝
’13 全日本総合選手権大会 ダブルス 優勝(3連覇)
’13 全日本社会人大会 ダブルス 優勝
’12 全日本総合選手権大会 ダブルス 優勝
’12 全日本社会人大会 ダブルス 優勝
’11 全日本総合選手権大会 ダブルス 優勝
’10 全日本総合選手権大会 ダブルス 第3位
’10 全日本社会人大会 ダブルス 優勝
’10 日本ランキングサーキット大会 第3位
’10 大阪インターナショナルチャレンジ ダブルス 準優勝
’09 大阪インターナショナルチャレンジ ダブルス 優勝
’08 全日本総合選手権 ダブルス 第3位
’08 全国高校総体 ダブルス 優勝
’08 全国高校選抜大会 ダブルス 優勝
国際試合
’19 中国オープン ダブルス 準優勝
’19 インドネシアオープン ダブルス 準優勝
’19 インドネシアマスターズ ダブルス 優勝(2連覇)
’18 ワールドツアーファイナルズ ダブルス 優勝
’18 韓国オープン ダブルス 優勝
’18 中国オープン ダブルス 優勝
’18 アジア競技大会 ダブルス 準優勝
’18 マレーシアオープン ダブルス 優勝
’18 インドネシアマスターズ ダブルス 優勝
’17 ダイハツ・ヨネックスジャパンオープン ダブルス 優勝
’17 オーストラリアオープン ダブルス 優勝
’17 アジア選手権 ダブルス 優勝(2連覇)
’17 シンガポールオープン ダブルス 準優勝
’16 フランスオープン ダブルス 第3位
’16 デンマークオープン ダブルス 優勝
’16 ヨネックスオープンジャパン ダブルス 準優勝
’16 リオデジャネイロオリンピック ダブルス 優勝
’16 インドネシアオープン ダブルス 優勝
’16 アジア選手権 ダブルス 優勝
’16 インドオープン ダブルス 優勝
’16 全英オープン ダブルス 優勝
’16 マレーシアマスターズ ダブルス 優勝
’15 中国オープン ダブルス 準優勝
’15 インドオープン ダブルス 優勝
’14 BWFスーパーシリーズファイナル ダブルス 優勝
’14 デンマークオープン ダブルス 準優勝
’14 第17回アジア競技大会 ダブルス 準優勝
’14 オーストラリアオープン ダブルス 準優勝
’14 ヨネックスオープンジャパン ダブルス 優勝
’14 全英オープン ダブルス 第3位
’14 ドイツオープン ダブルス 優勝
’14 マレーシアオープン ダブルス 準優勝
’13 ヨネックスオープンジャパン ダブルス 第3位
’13 シンガポールオープン ダブルス 準優勝
’13 マレーシアオープン ダブルス 準優勝
’12 デンマークオープン ダブルス 準優勝
’12 インドネシアオープングランプリゴールド ダブルス 優勝
’12 カナダオープン ダブルス 優勝
’12 USオープン ダブルス 優勝
’11 ロシアオープン ダブルス 準優勝
’09 インドオープン ダブルス 優勝
’09 ベルギー国際 ダブルス 優勝
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まとめ
男子シングルス世界1位の桃田賢斗、世界上位で競り合う女子ダブルス(フクヒロ、タカマツ、ナガマツ)、女子シングルス(奥原、山口)、とバドミントン人気が急上昇していますが、それは2014年に日本勢初の世界ランク1位に昇りつめ、2016年に日本史上初のオリンピック金メダルを取った高橋松友ペアの活躍がとても大きいと思います。
リオオリンピックの後、燃え尽き症候群になりながらもここまで4年間頑張ってきた高橋・松友ペアが、東京オリンピックでもう一度金メダルを取る姿を見たかったです。
高橋礼華選手、お疲れ様でした。
あなたの13年間のプレイは、これからも何度も見返します。
感動をありがとうございました。